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小野裕三の公式ブログです。

2016年10~12月の句集 『一夜劇』『虎の夜食』『フラワーズ・カンフー』『プレイ・オブ・カラー』『然るべく』

中原道夫『一夜劇』(ふらんす堂/2016年10月刊)

日脚伸ぶ猫に猫背といふ峠

ドロシーは卒業旅行よりふさぎ

蟬の穴誰も戻れぬやう塞ぐ

旨さうなかたち気の毒毒きのこ

着水の水面堅しよクリスマス

溶接の火花地を焼く蚊食鳥

だみ声は白鳥を出て餌をねだる

大根にぷすりと箸の穴笑ふ

風船は逃げの一手を考へる

単車行く夜の新樹を逆立てて

どやどやと二階へ案内泥鰌

自由形(クロール)の抜き手そのまま抜けさうな

蛇泳ぐみるみる岸を引き寄せて

 この俳人は、まさに俳句を生きている人、という気がしていて、それは確固たる美意識と覚悟がなければできることではない。美と諧謔という、どこか矛盾しそうな二つの要素をきちんと両立させている。まさに、それこそが俳句である、とでも言うように。俳句こそは、この二つを見事に調和させうる器なのだ。そしてその二つの調和は、簡素さという俳句のもう一つの特性によって完成する。簡素さで包むことによって、美と諧謔の調和をもたらすのは、虚子がおそらくその典型だったかも知れない。もちろん、中原氏と虚子ではその方法論は違うものだろうが、それは「言葉は情報を伝えるためのもの」という近代西洋的な通念に対抗する、ひとつの哲学的な思考のようにも思えるのだ。

 

中村安伸『虎の夜食』(邑書林/2016年12月刊)

睡るため翼の欲しき五月かな

布のやうに遅日の坂をあるくかな

崩れ落ちる映画の東京夏帽子

星を踏む所作くりかへす立稽古

ふところに虎をたくはへ春の鼓主

馬は夏野を十五ページも走つたか

そらをとぶ女の子たちにまもられ

菜種梅雨すべての円は時計なり

祈るとき鉄橋は複雑な薔薇

いろいろなをんなのからだ遠花火

二人を繋いで沈む手錠が売られてゐる

切腹にたつぷり使ふ春の水

軍勢のふくらむごとく秋来たる

密告に影絵をつかふ熱帯夜

バターになつた虎を育てる冷蔵庫

よきパズル解くかに虎の夜食かな

秋の水たひらあらゆる妻を映し

神にふたつの口あるごとく秋の花

 中村さんと知りあったのはもう十五年以上も前のことになるのだが、とにかく才能豊かな人だと思ったのが第一印象で、その印象は今も変わっていない。おそろしくマジカルな言葉を、俳句として自在に操る。マジカルというのは決して比喩だけでもなく、彼には常に観客(読み手)を驚かせようという企みがあるように感じられる。当然のように、このようなマジックを成功させるためには、用意周到な繊細さと、そしてその一方で思い切りのよい大胆さが必要とされる。彼にはそれを遂行できるすべての才能に恵まれている。

 そのような才能に裏付けられているから、「自在」という言葉が彼にはぴったり来る。だが、ひょっとするとその「自在」さこそが彼の唯一の弱点かも知れないと思う時もある。なぜならば、その「自在」さが、いかにもあからさまに彼の句では見え隠れしてしまうからだ。ある意味で、彼の才能やその「自在」さを、自分自身でいかに説き伏せていくか、というのが彼にとってのただひとつの課題なのかも知れない。

 

小津夜景『フラワーズ・カンフー』(ふらんす堂/2016年10月刊)

晩春のひかり誤配のままに鳥

夏座敷しいんとしいんとぼるへす

龍淵に潜むドレスは頭から脱ぐ

しろながすくじら最終便となる

クローバーもぞもぞつみて空気術

森ゆるくかたまる夜のしつけ糸

忘却は星いつぱいの料理店

永遠はうごく剥製 蔦の手を

凍蝶をはがしあふ日のふるへる眼

ふくろふの不在通知はなぜ海へ

北開くしかばねかんむりの家で

ここはまだすこしすずしい指がとぶ

夏の日の一冊があり橋があり

いまだ目を開かざるもの文字と虹

語りそこなつたひとつの手をにぎる

瓜を植う日に日に海を見し庭に 

 何かが、彼女の句では常にどくどくと脈打っている。何かの大胆なものが。この大胆さは何だろう、と思って考えてみたら、それは料理などに見られる大胆さに近い。もちろん、料理とはひとつの創造行為でもある。素材を選び、切り刻み、そして焼いたり煮たりする。それはどこか残酷な過程とももちろん言える。それは生きたものを殺して素材とし、そしてその結果として生きるものが生き続けることを助ける。この残酷とも慈愛ともつかない行為は、きわめて実践的でもあり、何かがグロテスクでもあり、かつきわめて美しい。そして彼女の句に脈打っている何かは、このような行為に近いものだ。だから、彼女の句はどれも残酷であり、かつ慈愛に充ちて美しい。

 

森澤程『プレイ・オブ・カラー』(ふらんす堂/2016年10月刊) 

花栗や星より静かなものに坂

たましいの昼夜逆転かぶと虫

石の道木の径冬のスープ澄む

囀りを身に貯えている岬

六月の水に囲まれ孔雀小屋

一点のゴリラがぬくし観覧車

どことなく鹿の顔して静養す

浮かび来る出目金雨のまま暮れ

港湾を雨わたりくるソーダ

風花の空へ滑車が吊るマネキン

 静かに確固と生きている、一人の詩人の姿を想像する。その詩人の生における時間の流れは独特だ。この世に生きながらも、この世の時間からはほんの少しだけ距離を置く。それゆえに彼は、この世界を支えている些細な事柄にも気づく。この世界の、構成原理のようなものに。そしてその原理とは、彼にとってはきわめてビビッドな色をしたものなのだ。というより、世界の持つ色のビビッドさがそのまま世界構成の骨組みになっているかのような。そのことはちょうど、この句集のタイトルにも繋がる。

 

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岡村知昭『然るべく』(草原詩社/2016年11月刊)

あわゆきぞ人魚のおはなしの途中

シクラメンだから三階にはいない

しろき蛾よ幕府よみがえらぬすぐには

みずうみや弁士中止の夏来たる

からっぽのダムへと入る生徒会

黙祷のあとにふらつくのが仕事

出来そうもない空港のばったかな

落花生投げつけられる司会かな

献血を呼びかけられて鼻冷えて

雨音や黙って鶴を持ち帰る

しゃべれなくなり冬空を熱気球

ちふれりうしろすがたのみんな僧