YuzoOno.blog

小野裕三の公式ブログです。

2017年7~9月の句集 『秋の蜂』『恋のぶぎぶぎ』『短編集』『断片以前』『主根鑑』『秦夕美句集』『緑陰』『嘱』

川崎益太郎『秋の蜂』/ 川崎千鶴子『恋のぶぎぶぎ』(文學の森/2017年8月刊)

不届きなトースト跳ねる早春賦

捨てられし菜の花そろり立ち上がる

地を選び地に選ばれる種袋

吊り橋の重量制限蝌蚪に足

夕焼けをこわさぬように卵割る

終点の更に伸びゆく花野かな

鯉跳ねて水より冷たき世界知る

影のない人と寄り添う日向ぼこ

あっ雪するりと落ちるボールペン

 

落椿ゴッホの耳が落ちている

重力の消えていく菜の花畑

なつかしむよう僕を離れぬ春の蠅

王様になりたくなって蜆とぶ

受験終え家しんしんと眠りけり

幾万の茶わんと靴の消えた夏

ずいずいずっころばし十の蟬穴

分校さびし本校さびし水母かな

ががんぼの送り迎えや夜の厠

変換はもう行き止まり濃紫陽花

どうして焼けたの八月のわたしは

盆の月背を丸くして子を迎え

こおろぎや母の小言の文殊

銀河見えず銀河のような子と絵本

顔を出す魔女の手そっと手袋に

 川崎さん夫妻はとても仲のよい夫婦で、今回の句集にもそのことが表れていて少し驚いた。というのも、同じタイミングで同じ出版社から同じような装丁スタイルで夫婦の句集を出す、という例は寡聞にして他に聞いたことがない。俳人同士の夫婦は何組も知っているが、こういう形は初めてで、しかも二冊の句集が同じ郵送で送られてきたから、本当にお二人は仲がいいんだなあ、とあらためて感心した。

 こうやってお二人の句を並べてみると(前半が益太郎さん、後半が千鶴子さん)、当然のようにそれぞれの生活のさまざまな側面が垣間見えるわけだが、あえて二人を比較するなら、益太郎さんのは彼を取り巻く世界を大局的に見ようとしているのに対し、千鶴子さんのはやや世界の流れのままに、と言うか、彼女に繋がる世界を体で感じようとしている印象がある。それゆえに、千鶴子さんの作品のほうがより、命や生き物というものに近い立場で詠まれていると言えるし、だから彼女が原爆を詠んだ(二人とも広島市在住)と思える句は僕には印象的だった。

 幾万の茶わんと靴の消えた夏

 どうして焼けたの八月のわたしは

 茶わんも靴もありふれた日常品だが、この並列はちょっとだけアンバランスだ。食卓に上るものと地を歩くもの。それでもそれらが並列にされることで、原爆の無差別な破壊力も想起させる。そしてこの二つとも、人間の体というか肌に密接な日用品でもある。そのような形で黙示的に肉体性が一句に包含されることで、かえって人間の肉体の生々しさのようなものも際立つ。

 それに対して、益太郎さんの句はより俯瞰的に世界を捉えようとする。だとすれば原爆のような社会的なテーマを捉えるのは、そういう句のほうが向いていそうだが、少なくとも僕としては千鶴子さんの原爆句のほうが印象的だった。

 すごく雑な一般論をすれば、男性の句のほうがより社会的に、女性の句のほうがより肉体的になる傾向は確かにある。だとすれば、男性の方が「社会性」を詠むのは適していそうなのに、必ずしもそうとは限らないのかも知れない。少なくとも千鶴子さんの句は、今の時代においてあらためて「社会性」を俳句に詠むことのヒントになるのかも知れない。

 

日高玲『短編集』(ふらんす堂/2017年9月刊)

鬼灯や耳たぶ自慢のご一族

お降りや短編集に恋の小屋

熊撃たる日曜の僕のベッド

明易し造形学部より片腕

ジーパンの大穴素麺流しかな

かたつむり頭あずける終電車

麦の秋犀のごとくに父帰宅

蛇はまだ寝てはいるまい摩尼車

馬肥ゆる旅の手足のよく伸びる

月光の橋の震えも転身なり

百千鳥詩篇のように火を囲む

集合写真滝一本の終始かな

 熊の句は僕もとても好きな句で、文句なしの名句だと思っている。彼女の特徴は、言葉へのセンスと物へのセンスがうまくシンクロして共鳴している点だと思う。この共鳴の結果、彼女の句はとてもリズミカルだ。それは単に音律というだけでなく、イメージや意味のレベルにおいても彼女の句はリズミカルなのだ。イメージにおいてリズミカル、とは変な表現なのだろうが、それでも彼女の句はそういうしかない何かを持っている。弾むようなリズムが、韻律にもイメージにもともにシンクロしながら現れてくる。

 

-------------------------------

山本敏倖『断片以前』(山河俳句会/2016年8月)

風葬という八月のメロンパン

東洋史以前のひまわりを測る

まにゅあるどおり馬と佐賀県

くあらるんぷーるに入ってぶどうは誤植

腹話術のように六月くるくる

雨蛙僧と向き合ってあさって

模写から模写へ壺はお元気

どんぐりは集団催眠型である

六月の客を装う方眼紙

影絵から影絵へうつる火事の音

馬はどう結ぶかそれも永代橋

十一時の時計を見たら十一時になる

 

志賀康『主根鑑』(文學の森/2017年9月刊)

不用意に前開きで立つ春の山

少年の投げ縄今になつて届く

双頭の友に驚く御来迎

空よ言葉は背後を丈夫にするために

麦秋や人みな結び目に祈る

父は酔うて端ある地図を認めない

烏の面とればつまらぬ顔なりき

 

『秦夕美句集』(ふらんす堂/2017年8月刊)

とめどなく男がこぼれゆく涅槃

水底の都美はし春の修羅

蕩尽や孔雀明王霧を曳き

捨猫も月夜は人の形して

月光の檻をぬけ出る石仏

恃むものなし月光の針を呑む

競馬おくれて夢の馬駆ける

ただ寒き魂なれば水を呑む

ぬけぬけと壁抜け男花の昼

腕のばすかぎりは領地百日紅

その人のたましひ四角なり晩夏

 

近藤亜沙美『緑陰』(文學の森/2017年9月刊)

大花野不器用な教師が沈み

遠き夏野のような主治医の声

掃除機をかけるリズムで夏に入る

梅雨近し何かに抗うための零

二百十日母の詮無き昭和うた

立冬の遠き離陸を思うかな

地上絵や四肢の眩しき海開き

葉桜や胸の小部屋に鳥を飼い

 

白石正人『嘱』(ふらんす堂/2017年9月刊)

踊り場に小さき扉九月尽

春の桟橋誰も端まで行きたがる

ひろびろと噴水をみて靴を脱ぐ

掌は宇宙のはじめ黒葡萄

橋涼し地下鉄出たり入つたり

むささびの穴と思へば楽しかり

水木咲く人の気配を見せぬ家