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小野裕三の公式ブログです。

2017年10~12月の句集 『リボン』『素秋』『赤鬼の腕』『情の帆』『櫨の実の混沌より始む』

上田信治『リボン』(邑書林/2017年11月刊)

うつくしさ上から下へ秋の雨

朝顔のひらいて屋根のないところ

夜の屋根さざえの刺身赤つぽく

囀や駐車場いつぱいの石

花きやべつ配電盤が家のそと

同じマスクがずつと落ちてゐて夢のやう

CDのセロファンとれば雨か雪

雨匂ふ春をうしろへうしろへと

火はうごきつづける暗さ紅葉山

その上をひかりのとほる運動会

指は一粒回してはづす夜の葡萄

蕗味噌や子どもが泣いて白い壁

食堂は暗くてみづうみの景色

屋上へ登るたとへば看護婦たち

 彼の作品は、一見してとてもシンプルだ。さらっとしていて、だから、何か物足りないような印象を抱く人もいるかも知れない。だが、この過度なほどにさらっとした彼の句風は、もちろん彼の確信に基づいているはずだ。俳句の魅力の確信は、このようなシンプルさにあり、実は僕自身もその魔術には相当心を惹かれている。それも、ほとんど魔力と言ってよいような力強さで。彼もひょっとすると、そのような魔力に取り憑かれた「同志」のような人たちを想定していて、そういう同志だけがわかってくれればいい、と思っているのかも知れない。面白いのは、彼はそのような俳句のシンプルさが待つ魔力を知りつつ、しかしそれを決して小さな箱に押し込めようともせず、存分に活用してやろうという意図が見えることだ。右から左へ、俳句のシンプルさをぶんぶんと振り回し、そしてそれがどこまで行ってもまだ有効なのかを確かめようとしている。そんなふうに思える。

 

安西篤『素秋』(東京四季出版/2017年11月刊)

八十八夜野鯉ずずずと腹を擦る

長梅雨や『廃炉詩篇』の長恨歌

さるすべり揺れていっせい射撃かな

初凪やむしろ帆で行く 空海

台風圏少し鼻曲げ猿田彦

白鷺や告白は垂直に来る

昼の虫ピエロが一度スキップす

影の木に人間吊るす冬木立

囀りや雑居家族の多音階

おぼろ夜を銭臭きひと通りけり

台風の眼の中暗算繰り返す

私書箱から鳩の出そうな神無月

 現代俳句界の重鎮であり、その作品には年季というかある成熟性を感じる。だが、成熟には間違いないのだが、彼の作品にはそれだけでないものもある。それを実験性と呼んでしまうと容易いのだが、それで片づけてしまうのも違和感があり、あえて言うなら「成熟した実験性」とでも言うのが、まずは一番近い。しかし、当然ながらその言葉はどこか語義矛盾だ。実験というのは成熟のための準備段階を指すものとも思えるし、成熟してしまったとしたらそれはもはや実験ではないし、実験であるとしたらそれはまだ成熟していない。つまり、成熟でもなく実験でもない(しかしそのそれぞれに極めて近しい)第三の道を彼は見つけたのだ、というのが正しいのかも知れない。それを何と形容していいのかはわからないのだが。

 

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 中内亮玄『赤鬼の腕』(狐尽出版/2017年11月刊)

子どもという実に不気味な輪を覗く

青空へ罫線のびて入学式

すべて捨ててそしたら夜は舟でした

少し歩くつもりの赤の他人かな

春の雨あかるい傘の押し寄せる

 

篠田悦子『情の帆』(深夜叢書社/2017年11月刊)

 蛇行して軽き倦怠春の河

立夏立夏と荷馬車が弾む森の中

蛾の鼻筋人間くさく奥秩父

二時間ほど雲に摑まり春の旅

炎天や速達出しに行くさびしさ

片脚は限界集落冬の虹

 

加藤知子『櫨の実の混沌より始む』(ジャブラン/2017年12月刊)

月下美人咲く産道をひろげつつ

狐火を点す峠の不眠症

啓蟄の耳たぶ地平線が騒がしい

いないいないばあは延々花の海

一月号のペンギン呼ばれ表紙顔

夏立つ犬逆走迷走ひた走る

三・一一和傘閉じたり開いたり

戦わず一列に並ばされはだし

朝蜘蛛の退路を断ってあれがパリの灯